さなえの計算用紙

日常風景やゲームの感想など書いていきます。ご自由にコメントをお願いいたします。

メーテルリンク『青い鳥』を読んで

0. はじめに

メーテルリンク著/江國香織訳『青い鳥』(講談社文庫)を読みました。

Twitterで、私は未プレイですがPurple softwareの「アオイトリ」というゲーム(http://www.purplesoftware.jp/products/aoitori/index.html)が発売3周年を迎えたというツイートが流れてきました。そのツイートはゲームの良さをアピールするものでしたが、ゲームのベースとなっている『青い鳥』を読んだことがなかったので、これをきっかけに読んでみました。

 

1. あらすじ

インターネットで検索すれば出てきますので、ここでは記述しません。読み終わって考えたことについて以下であまり推敲せず書いていきます。

 

2. 読後に考えたこと

2.1 記憶と死

主人公は初めに、亡くなった祖父母がいる記憶の国へ向かいます。出発の直前、旅をそそのかした妖精が主人公にこう言います。

「誰かが憶えているかぎり、人は、ほんとうには死なないのよ。人間は無知だから、そんなことも知らないのね。(以下略)」

生命をもつ者は、いつか必ず肉体的な死を迎えます。そうであっても、想いをはせることで我々の心の中でその想った人が動きます。一般には「死=肉体的な死」と考えるため、妖精の発言は当たり前なのですが忘れがちな部分だと思います。自分が肉体的に死ぬことに今は恐怖がありますが、自分の身近に誰かがいて、その人が自分のことを想ってくれることが分かっていれば、肉体的な死の恐怖が少しは軽減されるのかもしれません。

 

2.2 人とのつながりと幸せ

旅を通じて主人公が幸せとは何か、どこにあるのかを探す本作ですが、巻末に翻訳者と挿絵担当者の対談がありました。幸せの形として、本文ではその1つに母の子に対する愛情が表現されています。これをきっかけとした対談に、

誰かと出会って、お互いに影響し合うのはとても楽しいことですよね。人間って、やはり自分ひとりだけで幸せになるのは難しい。幸せは人とのつながりの中にある。そう言える気がします。

という発言があります。

おおむね納得できる内容ですが、「幸せは人とのつながりの中にある」と言ってしまうのは恐ろしいことだとも思います。幸せの感じ方は人それぞれですが、やはり仕事や学業の役割としての「つながり」よりも、もっと個人的・内面的な「つながり」の方がうれしいのではないでしょうか。

現在独身の私は、内面的なつながりを感じることはほとんどありません。もともと友人は多い方ではなく、働きだしてからは大学のサークルのようなコミュニティにも属しておりません。知り合いと会うことはありますが、SARS-CoV-2の影響もありそれほど頻度は高くありません。

このような人とのつながりが少ない状態で幸せを見つけるにはどうすればよいのでしょうか?幸い、インターネットのおかげでこうして不特定多数に発信できるようになっています。自分のやりたいこと、好きなことを見つけて、それを通して自分の存在を認識してもらうことがまず第一歩なのかもしれません。それは決して自分の内面を見てもらえるものではありませんが、そのきっかけにはなりえます。『青い鳥』からは離れますが、『涼宮ハルヒの憂鬱』でハルヒが織姫と彦星に「わたしはここにいる」というメッセージを発したことの、規模がかなり小さいバージョンであれば私にもできるかもしれません。本編で飼っていた鳥が黒い鳥にも青い鳥にも見えたように、自分の価値は誰かの評価に左右されます。人とのつながりでしか幸せを手に入れることができないのであれば、それは人間の欠陥かもしれません。

 

3. おわりに

個人的には、本編全体に横たわっている幸せというテーマよりも、人の記憶、内面に関するエピソードの方が印象的でした。あらすじだけではわかりえなかった部分でしたので、これだけでも読む価値があったと思います。